認知症にならずとも

    母が倒れたのは二年前の夏でしたのに、何だか随分昔の
    事だったように思います。
    それ以前から、度々骨折したり胆管炎を起こして通院したりして
    おりましたから、いったいどの時点から世話が始まったのか
    全く思い出せません(笑)

    お客様にも近所にも、母の状態を隠さずお話していましたから
    最近時々、「お母さんはどうしてる?」と聞かれる事が多く
    『あ、そういえば随分良くなったのに誰にも話していないわ!』と
    思い出し、自分の記録としても残しておきたくて書いていきます。

    これから親御さんがそういう年齢になっていく方たちへの
    参考に少しでもなれば良いという想いも込めて。
    長文になりますので興味の無い方はパスしてくださいね^^

   
    足の骨折から車椅子で過ごすようになり、お腹を折る姿勢が
    続いたことから胆管炎を起こし通院したものの、どうにか二年前の
    春には自分で歩いて普通の生活が出来るように回復していました。

    以前から物忘れが多く、それは性格だと思い込んでいましたが、
    そのうちに被害妄想が酷くなり「これは変!」と調べてみると
    どうやら認知症の症状の一つらしいと分かりました。
    不眠を訴える母に、眠れる薬を貰いに行こうねと弘前の病院で
    検査を受けると、そこで『レビー小体型認知症』と言われました。

    認知症と聞くとアルツハイマーのイメージしか無かった私は、
    姉や娘と共に調べ周り、症状や治療法や診察してくれそうな
    先生を探そうとしました。
    でも、レビー(ここから省略してレビーと呼びます)は薬に過剰に
    反応するという症状もあり、処方された睡眠薬を飲んだ母は
    逆に日中も眠り続け、食事も水分も取れず熱中症のような状態に
    なり救急車で運ばれました。

    救急の若いお医者様が仰った一言は、今でも忘れません。
    「これはね、もう老衰なの。このまま枯れていくの。」
    病気では無いのだから、またこのような状態になっても救急は
    呼ぶなと釘を刺されました。

    母は、その時朦朧としていても意識はあり、呼ぶと返事をしていましたから
    聞こえていたと思います。姉は先生の言葉を聞き、逆に『それなら
    治してみせる!!』と思ったそうです。姉の強い気持ちが無かったら
    今の母は居なかったでしょう。

    それでも追い返す訳にはいかなかったでしょうから、入院させてもらい
    24時間点滴、食事も流動食、トイレは誰かが抱き起こしてさせる、という
    状態が二週間ほど続きました。姉と私が交代で泊まり、世話をしました。

    状態が落ち着き、父がお世話になっている先生に往診をお願いして
    退院。骨折していた際に申請していた介護認定のお陰で、同級生の
    ケアマネージャーさんが動いてくれて、薬局さん、ヘルパーさん、訪問
    看護師さん、移動式のお風呂、皆さんがチームとなって支えてくれました。

    しばらくは毎日の点滴、すり潰した物も喉を通らず食べさせるのに
    一時間掛かりました。姉と娘が出来るだけ間を置かない様に来て
    くれて、私も仕事を続けることが出来たのです。
    誰も手伝いが居ない時は、母にベルを持たせ店で鳴るようにしておいて
    父か私が走っていく。
    23キロに減ってしまった母は、記憶はしっかりしていたものの
    笑顔を無くしていました。

    病気と分かっていても、介護する立場でストレスに感じたのは、
    幻覚と被害妄想です。
    虫が飛ぶ、光が攻撃してくる、救急車で運ばれたのが恐怖だったらしく
    自分は悪いことをした為にパトカーに乗せられた、と勘違いして
    救急やパトカーのサイレンにひどく敏感でした。

    そんな母が変わり始めたのは、デイサービスのお世話になり始めてから。
    車椅子から立ち上がれなかった母が、周りの同年代の人たちを見て
    自分も立ち上がりたい、同じ事をしたい、同じ物を食べたい、と
    感じ始めたのでしょう。
    目標にしたのは、「一人でトイレへ行けるようになること」
  
    せめて一人でトイレへ行ければ、介護している私たちの負担を
    減らすことが出来る。その一心で母は頑張りました。
    車椅子でトイレまで移動して、そこから立ち上がる。
    しばらくすると押し車を押して行けるようになる。
    またしばらくすると杖で行けるようになり、今では杖を忘れて
    歩くようになりました!

    ヘルパーさんも看護師さんも、今の母を見て信じられないと言います。
    スプーンも重くて持てない状態だったんですから!
    それが、今はステーキを一枚平らげご飯をお代わりします(笑)

    母の病気がレビーで、記憶を無くすことも無く徘徊をするわけでも
    無かった事は、仕事を持つ私にとって本当にありがたかった!!
    そして姉と娘という助けが無かったら、ここまで回復できなかったと
    思いますし、私の方が倒れていたかもしれません。
    私は本当に恵まれています。

    そして介護保険の負担額は大きいけれど、ケアマネージャーさんを
    中心として情報を共有し、チームとなって母と介護者である私たちまで
    フォローしていただいたことも、本当にありがたい制度だと感じます。
    どうしよう・・・介護保険の申請をした方が良いのかどうかと迷って
    居られるのだったら、窓口に相談されることをお薦めします!
 
    長くなるので、この辺で一旦終わります^^
    母は先ほど、リハビリの看護師さんと散歩に出かけました。
    手を振って、楽しそうでした^^

    認知症にならずとも、老いれば皆が辿る道。
    生きてきて良かった、と思える人生の締めくくりにしてあげたいです。
Commented by eyewearshop 北斗 at 2015-09-18 10:28 x
医者が希望のなくなるような言動は言語道断です。
一人の人間の人格を壊すような発言は医療関係者は絶対に言ってはいけない事だと私は思います。両親二人を癌で亡くし、色々とお世話になった医療関係の方で、こんな物言いの方はいませんでした。最後まで丁寧な医療と、介護から一日一日の命の大切さを学んだように思います。過激な発言で申し訳ありません。母の事を思いだしてしまいました。ご両親を大切に~
Commented by primaatsuko at 2015-09-18 23:14
☆北斗さん
ありがとうございます^^
「私が母をこんな風にしてしまった」と感じていた私には
本当にショックな言葉でした。でも看護師さんも理学療法士
さんも、それは一生懸命でしたし精神科の先生も相談に
乗ってくださって、アドバイスくださいましたから
すぐに嫌な事は忘れました!
私もカツンドさんのように、一日一日大切に出来るだけ母と
ケンカしないように(笑)生きていきたいと思います^^
Commented by ダックス at 2015-09-19 20:35 x
ぷりーまさん、こんばんは。
何気なく覗いたブログに引き込まれました。
私の母も「レピー小体認知症」と言われました。パーキンソン病なので「レピー小体認知症」になると・・・
ぷりーまさんのお母様と同じ症状です。
だんだんと笑顔が消えていくのは辛かったですね。
その日によって体調は変わりますが、家族の顔も名前もわかってくれるのでそれだけで嬉しいです。
体も小さくなって、30キロもないと思いますが子供に戻ってしまったような母を愛おしく思います。
母からもらった大きな愛情には到底とどきませんが、今自分がやってあげられることをしてあげようと思っています。
ぷりーまさんのお母様もとてもお幸せだと思います。
Commented by primaatsuko at 2015-09-23 01:28
☆ダックスさん
こんばんは!お返事遅くなりました。
そうでしたか!同じですね。やはり体重が増えませんか。。
うちの母は、エンシュア・Hという栄養ドリンクを処方して
いただいて、ずいぶん太りましたよ!それと、飲み込みが
苦手なのでフェルガードという粉を飲ませています。
これは日本では薬と認められていないので、健康食品になる
そうですが、毎日誤嚥していた父が全くむせなくなったので
母にも飲ませて、母もどんどん食事が取れるようになりました。
いつも明るく元気なダックスさんのお母さんもそうだったなんて、
私一人で大変そうな顔をしていたのが恥ずかしいです。
そういう話、香の会でも話さないですもんね!(笑)
今度は、レビーに関しても情報交換しましょう!!
by primaatsuko | 2015-09-16 13:00 | 3日坊主のprima日記 | Comments(4)

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