23年経っても
2005年 11月 23日
彼女の大好きな、かすみ草をいっぱい持って行こうと思っていたのに
何故か腰が上がりませんでした。
23歳でした。
結婚を半年後に控えていました。
静岡のつま恋、ヤマハの施設内で、ガス爆発がありました。
身体半分、吹き飛ばされて彼女は亡くなりました。
枯れるまで泣く、というけれど
23年経った今でも、涙が枯れることはありません。
いつでも会える、と思っていたので一緒に写した写真は一枚しかないのです。
いつも居酒屋さんで「おしんこ」ばかり何皿も頼んでました。
キムチを頼んでは、自分で白菜の芯ばかり食べて
辛い葉っぱの先をよこして「ほら、よしだ、全部たべ!」って言うんです。
私に子供が出来た時、彼女の名前を付けたいと思いました。
彼女の命をつなげて欲しかった。
約束していたのです。女の子が生まれたら名前をもらうって。
周りに反対されて諦めました。
中学3年の交換日記があります。
好きな人のこと、先生のこと、先輩のこと。
ノートの一番最後のページに
「何故、こんな勉強するんだろう?何の役に立つんだろう?」と聞いた私に対し
「若いうちにやったことは、きっと何かの役に立つよ!
やって無駄なことなんて、ひとつも無いよ!」
という彼女の言葉を見つけました。
彼女が私に遺した言葉だと決めたんです。
そこから出発しました。
前を向かなければいけないのに、なのに今日は朝からぐじゅぐじゅしていました。
そうしたら、優しいサイトを知りました。
http://www.geocities.jp/f_minigallery/
藤井迪彦氏、日本画家。
つい惹きこまれ、午前中ずーーーっと見とれていました。
だんだん、だんだん、暖かい気持ちになって
涙も止まりました。
そのうちに、今度は可笑しくて仕方なくて。
だって、どうしても結びつかないんですもの。
この暖かい絵を描く方が、あの方のお父様だなんて!
でもprimaさんはちゃんと前を見ているじゃない?
前を見て、たまに振り返っているだけならそれもかまわないと思う。
・・・って真面目に読んで、真面目に藤井さんのHP見て、最後のオチがこれですか・・・・^^;
いや、けしてあの方がオチと言うわけではありませんが、不覚にも笑ってしまいましたよ。
私が去年友人を亡くしたときに、教えてもらったフラッシュです。
primaさんにも見てもらいたいな。
いなくなった人なんかいないって思えたら楽になったから。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/1387/walkingtour.swf
このような亡くなりかたをされたんですね・・・
この方の親御さんは、お元気にお暮らしでしょうか?
名前は付けなくてよかったのかもしれませんね・・・そんな気がしますが・・・
あつこさん、まだ涙の跡が、ほっぺたについてるよ。あら、可笑しくて仕方ないときに出た、涙なの?
以前、なすびさんのところのコメントを読みました。
でも、彼女は体が亡くなってしまっただけよ。atukoさんや身近な人の心の中で、ずーっと生きてる。しかも!歳をとらずに。今でも、きっとお肌ピチピチよっ!!!
私の心の中にも、兄がずーっと生きていて、インプラントオペで不安なときとか「兄貴!頼むよ!!」なんて、話かけたりしてますもん。
私は、なくなった兄貴のところに行った時に、土産話いっぱいするんだー。きっと、それを楽しみに兄は、待っていてくれてると思う。私は、そんな気持ちで日々生きてる。
昨日は泣き笑いでした^^
不思議な暖かさは、息子さんも受け継いでいらっしゃると見て取りました。この親にしてこの子あり!親子万歳!!
atsukoさん、そんなことがあったら誰でも参っちゃいますよ。
でも死んだらどうせ火の中で昇華するんだものね。一瞬のうちに天国に行ったんだものね。痛いも何もなかったでしょうね。魂は、どこも傷つかずにピッカピカかも。
きっと、「よしだ、がんばれ!」って、天国から応援してくれてるね。
'似たもの同士'過ぎる!
そうです!飯坂さんです。
よく、ここを見つけてくださって。
あの場所にいらしたのですね。
今もコメントを読みながら涙が出ました。でも、大丈夫です。
関根さんが仰るように彼女はいつも笑顔でしたね。
気持ちが潰れそうな時には、彼女の笑顔を思い出します。
コメントを本当にありがとうございますm(__)m
不思議ですね、彼女がつないでくれたのでしょうか。
そして、私は今朝北陸から帰ったばかりです^^
私のメールアドレスです。spb25ny9@festa.ocn.ne.jp
コメントをありがとうございます。
そうでしたか。皆さんにそれぞれの人生があり、残された方たちは
悲しみを「越える」のではなく「抱えた」まま生きておられるのだと
知り、自覚もしました。
今回、関根さんから託された写真を彼女のお母さんへ届け、
関根さんも私も少し救われた思いがしました。この世に生きている
人たちとあの世にいる人たちと、両方に支えられて自分は今この世に
いるのだと、実感しました。
コメントをありがとうございました^^
そうでしたか。若い命がひとつ助かって良かったです。。
彼女の名前を覚えてくれていたんですね^^
可愛い人でしたね。お顔も性格も^^
あの後関根さんから写真をいただいて、彼女は私のPCに
入っています。彼女のお母さんも喜んでいました。
きっと甲子園も空から見ていたことでしょ^^ 私たちの時代には
甲子園なんて夢のまた夢でしたからね~^^
2007年の日記に、今頃書き込みしても迷惑かと思いました。
私の友人は翌日つま恋に出かけるはずだったのに、中止になり命広いしたことと、飯坂さんと言う高校の先輩がこんな形で若い23歳の「亡くなってはいけない年齢」で命を落とされた事が重なりショックでした。そして、プリマさんのこの日記を読んで、半年後に結婚を控えていたと知り、又、涙しました。
お母さんに写真渡せて良かったですね。園絵さんはプリマさんと一緒に年取っていますよ。見た目は23歳でも今年は51・52歳を迎えます。あの起きてはいけない事故から28年ですね。私も50歳になってしまいました。
お元気でご活躍されていることをお聞きし、本当に嬉しいです!
忙しくして居られるのですね。
残念ながら、一人暮らしをしていたSちゃんのお母様は
亡くなられました。でも、その前に写真をお渡しできたので
良かったです。
私も関根様から写真をいただいてから、泣かなくなりました。
不思議ですが、Sちゃんが繋いでくれたご縁だと思います。
関根様も、どうぞお身体に気をつけてお過ごしください。ご活躍をお祈りいたします。
コメントに気づくのが遅れ、お返事が遅くなり申し訳ありません。
出会ってからちょうど十年後、22歳でした。
私は当時は遠方にいて帰省したときに知らされました。
のちに親戚の方は、辛い姿で長い余生を生きなければならないよりは…、
とおっしゃっていました。
永遠に伝えられなくなってしまったからなのか、それとも特別な時期の特別な人だったからなのか…
彼女のことだけはきっと死んでも後悔し続けると思います。
私にも娘がいますが、彼女の名前はもらいませんでした。
本人を直接知る人が1人残らず死ぬとき、人は二度目の決定的な死を死ぬのだと読んだことがあります。
https://g.co/kgs/YA59Y3
コメントをいただいていたのに気づかず、失礼いたしました。
そうでしたか、若い方たちばかりでしたからね。。
悲しみの抱え方は人それぞれですが、私は関根さんからSちゃんの写真を
いただいてから泣かなくなり、それからは共に生きているような感覚で
おります。こうして同じ悲しみを抱える人たちが私のブログを読んで
くださることでさえ、奇跡に近いのですから彼女たちが導いてくれて
いるような気がするからです。彼女たちも私たちもこの世で存在を忘れ
られるようになっても、私はあの世で彼女たちに会えると信じています
から、それでもいいな~と思います^^
お返事が遅れ申し訳ありません。
あっという間に40年です。そうでしたか。色んな方たちの 中で思い出として生き続けているのですね。同級生たちも60を過ぎ、色々な形でお別れすることも多くなりました。園絵ちゃんに会える日も近づいているのだなと穏やかな気持ちで感じています。