24年の想い
2007年 05月 30日
ヤマハの施設 つま恋でガス爆発事故に遭い彼女は24歳で逝きました。
(その時の日記には23歳と書いていますが、誕生日を過ぎていたので
24歳ですね。)
つい先日、その日記にSさんからコメントをいただき驚きました。
彼女の上司で、同じ日事故に遭い幸い命が助かった方だったのです。
そしてSさんは、彼女の写真を24年間大事に持っていてくださった。
いつか遺族に返すために。
それにしても不思議なのは、どう検索しても私の小さな日記に
たどり着くのは何万分の1という確立だということ。
自分で検索しても見つけられませんでした。
でも、Sさんは見つけてくださった。私が書いた彼女への想いを。
今、私の膝の上に彼女の若い笑顔があります。
おかしいのは、あれほど欲しいと思っていた写真を見たら
きっと涙が止まらないだろうと覚悟していたのに、全く涙が出ないどころか
彼女の屈託の無い笑顔を見て、とても幸せな気持ちになっていることです。
お電話やメールでSさんとお話しているときは、涙が出ていたのに、です。
もう泣くな、と彼女が言っているのでしょうね。
Sさん、本当に感謝いたします。
長い間、大事に大事に取っておいていただいて。
SONちゃん、天国でSさんと私を見て、つないでくれたんだね!
この偶然は、そうとしか思えない。
一人暮らししているおばさんの事も心配でしょうね。
Bucchiと二人で写真を届けに行くことにしたよ!
ちゃんとおばさんに届けるから安心して^^
そして私も、もう泣かないから^^
結婚を目前にして逝った彼女の、無念さばかりが可哀想に
思えていたのですが、いただいた写真で嬉しそうに笑っている
のを見たら、彼女は幸せなうちに逝ったんだと感じて
なんだか安心しました。
きっと見守ってくれていると思います。
私も三戸で最初にお世話になった商工会先輩が、若くして
逝った時に一年間、その方の親友の先輩と毎週飲明かしました。
も~かなりたちますが、今でもPTAやなんかで親友の先輩たちと
集まると・・・その先輩に見守られて騒いでいる気がします。
みんな言いませんが・・・